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巻頭言
   「ご挨拶」 (第129会報)
株式会社アライドマテリアル
代表取締役社長 山縣 一夫

 アライドマテリアルの山縣です。2 年半に及ぶ新型コロナ感染症に関しては、足元、第7 波も徐々に沈静化に向かいつつあるようです。先日、3 年ぶりに米国に出張して来ましたが、到着後、一歩空港の外に出ると、街中、レストラン、ホテルや米国内のフライトでも誰もマスクをしていない状況で、彼我の差を大きく感じました。帰国時も、日本は世界でも感染者が圧倒的に多い国の一つとなっているにも関わらず、まだPCR 検査が義務付けられていたため、その対応にどたばたしました。帰国した翌週から渡航制限が緩和され、今後は海外渡航も活発になり、またインバウンドも徐々に戻り、経済にも好い影響を与えるのではないかと期待しています。一方でロシアのウクライナ侵攻以降、エネルギー、原材料、食品価格の高騰に加え、世界経済の減速やスタグフレーションの懸念もあり、不透明な状況の中で、経済と感染症対策のバランスを取っていく必要があると感じています。

 さて、今回は当社の企業理念についてお話ししたいと思います。当社は2000年10月に、東京タングステン株式会社と大阪ダイヤモンド工業株式会社が合併し、「株式会社アライドマテリアル」としてスタートしました。合併当時、共に60有余年の歴史と伝統を有する会社でありました。この合併により、タングステン、モリブデンに代表される高融点金属を中心とした各種金属、複合材料による粉末、線棒板、精密加工部品と、ダイヤモンド、CBNに代表される超硬質材料をベースとした研削、切削、切断工具といった特徴のある製品を幅広く取り揃えることが出来ました。

 私は2020年6月に当社に参り、両社の社史を興味深く読みましたが、今回は、皆様にはあまり馴染みの無いと思われる旧大阪ダイヤモンド工業株式会社のことを中心にご紹介したいと思います。

日本のダイヤモンド工業のはじまり
 日本でダイヤモンドの加工に本格的に取り組んだのは、養殖真珠で有名な御木本真珠店のようです。御木本は真珠と共にルビー、サファイア、ダイヤモンドを磨いたり穿孔したりするために、1913年に、小林豊造(東京高等工業:現東京工業大学助教授、同社工場長)を欧州に派遣してダイヤモンドの加工機械を買い付けさせました。

 折しも当時の日本では宝飾以外でも炭鉱で地層を調べるためにダイヤモンドボーリングビットや、電球のフィラメントを伸線するためのダイヤモンドダイス等が使われるようになっていました。そこで小林は御木本の了解を得て、工業用の工具の製造・修理を行う会社を設立しました。この会社が日本ダイヤモンド株式会社ですが、小林は1921年に46歳の若さで急死します。中心を失ったことで、会社を去って、東京ダイヤモンド、旭ダイヤモンドや大阪ダイヤモンド工業の祖を作る人達が現れました。余談となりますが、小林の長男は日本の近代批評の確立者であり、日本の知性を代表する巨人の一人である小林秀雄です。

会社設立の基本理念
 小林の死から12年後、旧大阪ダイヤモンド工業株式会社の前身であるダイヤモンド研磨株式会社が設立されます。会社設立の基本理念が3条にまとめられています。いずれも胸が熱くなる条文ですが、最初の1条を書き写してみましょう。

「当社は普通事業として障がい者救済をも目的とし、その為に就業者は聾啞者を主とし、その他小児麻痺等による足の障がい者等も主として採用することとした。」

 この理念は会社設立後3年後には実現され、障がい者を2 割程度雇用しています。現在でも障がい者の法定雇用数は2%台であり、当時は画期的なことであったのでしょう。日本のみならず、英独仏の新聞に報道され、また、朝香宮殿下、永田拓務大臣が見学に訪れています。さらに、1927年に住友電線(後の住友電気工業)から出資を受けることになりますが、住友電工社史には「ここは聾啞者が多く、精密な工程の仕事に当たっていて成績をあげているので、社会事業としての意義も深く、このことも住友本社が出資に同意した一因であった。」と記されています。条文にはこの他にも、「経営は従業員の生活安定に重点を置くべし」、「社員養成に当たっては単に技術のみならず精神、肉体両面に渡り教練且つ訓行するべし」、「新規採用者は障がい者のみならず普通人にしても社内の寮に収容して5年間居住せしめること」、「他国との競争を考慮すれば運賃が軽微なダイヤモンド製品加工は有利」ということなどが書かれています。

アライドマテリアルの企業理念とシンボルマーク
 当社の現在の企業理念は「良い会社であり続けること」であります。良い会社とは顧客の信頼と期待に応える会社、社会と社員に夢のある会社、自信と誇りを持って創造し挑戦する会社、競争し優位を続ける会社であります。

 シンボルマークは「半世紀を超え、超高融点材、超硬質材を扱う製造メーカーとして蓄積された技術は、社会、産業、文化の発展を支え、未来に向けさらに付加価値を高め、無限に進化していく」というイメージを、澄んだブルーの色とそのグラデーションで表現しています。流れを構成する四角形は技術の融合体を示し、四つの頂点は、素材技術、加工技術、工具技術、評価技術を表しています。

 企業理念である「良い会社であり続ける」ためには、そこに働く一人一人の力が結集され、一つの方向に向かって動かなければなりません。それが実現された時に、大きな力となって会社は飛躍、発展するのだと考えます。

 90年前の創業者たちは、障がい者とともに働くことで生まれる風土(声がけ・思いやり・成長を共に喜ぶ)を育み、広げることで、多様な人材が活躍できる強い組織づくりを目指したのでしょう。また、従業員の力を最大限に引き上げるために教育を施し、共同生活をさせ、さらに社員一人一人を尊重して夢のある会社としていきたかったのだと考えます。そういう意味でその志は現在の企業理念の中にも生きています。現在でも旧大阪ダイヤモンド工業の流れを汲む播磨製作所を始め、各地区の事業所において、障がい者が職場で活躍しており、今年も新たに2名を採用しています。

 90年の間に会社は何度も困難な状況に直面しました。その度に、困難を乗り越えることが出来たのはやはり従業員達の結束と総合力でした。このような伝統や風土を当社が受け継いでいることを認識・感謝し、今後につなげていきたいと考えます。
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