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会報

「セレンディピティ――偶然を成果につなげる力」

日本新金属株式会社
取締役社長 谷内 俊之

第141号会報(2025年10月15日発行)

#巻頭言

皆さんは「セレンディピティ」という言葉をご存じでしょうか。偶然の出来事から価値ある発見や成果を得ることを指します。元は18世紀の英国作家ホレス・ウォルポールが使い始めた造語で、物語『セレンディップの三人の王子』に由来します。セレンディップは現在のスリランカで、王子たちは旅の途中で出会った男に逃げたラクダ探しを頼まれます。三人は逃げたラクダは片目が見えず、歯が1本抜けており、足を引きづって歩いているという特徴を見事にいい当てました。男は「どうして見たことがないラクダの特徴を知っているのか」と聞いたところ、道端に生えている草が片側だけ食べられており、草に残った歯型と道に残った跡をみてわかったと答えました。これがきっかけで無事ラクダが見つかることになります。王子たちは旅の途中で、目的とは異なるが重要な発見を何度も成し遂げました。

 

このセレンディピティという概念は、科学や技術革新の歴史でも数多くの例があります。ペニシリンの発見やX線の発見は、計画された実験の過程で偶然得られた現象を、研究者が価値と意味を見出すことで実用化されたものです。島津製作所の田中耕一博士が巨大分子の質量分析方法を開発し、ノーベル化学賞を受賞したのも、前準備でアセトンとグリセリンを間違えたまま実験をしたことがきっかけでした。もし、試料を間違えていなかったら…。もし、間違った試料を捨ててしまっていたら…。分析データの小さな違いに気づかなかったら…。多くの偶然が重なった幸運だったそうです。重要なのは、偶然そのものではなく、それを見抜く力と準備です。

 

ビジネスの現場でも同じことが言えるのではないでしょうか。日々の業務や取引の中で、当初の目的とは違うヒントや情報に出会うことがあります。それらを単なる「雑情報」として流すのか、新たなチャンスととらえて活用するのかで、結果は大きく変わります。

 

偶然を成果に変えるためには、いくつかの条件があります。第一に、知識と経験の蓄積です。背景知識がなければ、有用な兆しを見過ごしてしまいます。第二に、観察力と好奇心です。現場での小さな変化やお客様の何気ない一言から、新しい方向性が見えることがあります。第三に、柔軟性です。計画に固執しすぎると、偶然が持ち込む可能性を自ら閉ざしてしまうことになります。

 

現代社会では効率性や予測可能性が重視され、計画に沿った進行が求められます。ビッグデータやAIは未来を精密に予測し、私たちの行動や選択を計画に沿って最適化しようとします。もちろんそれは必要ですが、同時に計画の外側にある「偶然の余地」も残すべきではないでしょうか。社内でも、異なる部署や職種間の交流、新しい分野への学びを促すことで、予期せぬ発想や連携が生まれやすくなります。

 

また、デジタル化とネットワークの発展によって、偶発的な出会いはむしろ多様化しています。SNSやオンライン会議での偶然のつながりが、次の事業の種になることも珍しくありません。ただし、情報が自分の興味や業界内に偏りがちな時代だからこそ、意識的に異質な領域へ触れる姿勢が欠かせません。

 

私たちの業界も、変化のスピードが増し、予測が難しい局面に直面しています。だからこそ、偶然を前向きにとらえ、そこから価値を生み出す力が重要です。日々の中で「これは何かにつながるかもしれない」と思える瞬間を逃さず、行動につなげていく。その積み重ねが、組織や業界全体の競争力を高めます。

 

一方で、偶然はコントロールできません。偶然に気付く力は養うことができても、「幸運なる偶然」が自分の身に降ってくるかどうか、運にも似たものが大事になってきます。先の田中耕一博士の例でも、アセトンとグリセリンではなくアセトンとアルコールを間違えていたら、ただの失敗実験だったかもしれません。なぜ、グリセリンを混ぜたのか?この点に関しては、大きなハードルに挑戦し、簡単には解決策が見つからず、努力に努力を重ねても解決できず、悩みに悩んで四方八方に手を尽くしたその先に、一筋の光が差してくる、そんな感覚で「幸運なる偶然」がやってきた経験を持っています。運も実力のうちということわざがありますが、本当の努力をしたものにのみ運は味方するということと解釈しています。その時の一筋の光は細部に宿った神なのだと思っています。

 

しかし、一旦幸運なる偶然が自分に降ってきたら、それを成果に変える環境と姿勢は、私たち次第で整えることができます。今後も現場の中で生まれる小さな気づきを大切にし、未来を切り開く力に変えていきたいと思っています。

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