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役員寄稿
   「私の趣味、海外でのスプーン集め」 (第125号会報)
    株式会社アライドマテリアル
 常務理事 中村 泉

  私は2 回(合計14 年間)の米国(ロサンゼルス)への営業駐在(1987 年7 月~ 1993 年9 月、1999 年2 月から2006 年12 月)を経験し、また日本から欧州やアジアへも何度も出張しました。

 1回目の米国駐在中(~ 1993 年)は、例えば、日本から技術者を呼んでの1週間の米国内出張では、先ず、最初の訪問顧客の近くに、前日までに飛行機で移動。午前中に顧客と打合せ、午後に次の顧客に近い場所へ移動し、ホテルチェックイン後に、その土地を少し観光と食事をして(日本からの海外出張者は、その出張前後が大変忙しくなるが、それでも、また米国に来たいと思ってもらう意味でも必要)、ホテルで出張報告を書くといった繰り返しとなります。

 その頃の問題は、1週間の出張用の荷物(資料の嵩と重量)でした。当時は、今と違って、軽量なノートPC 等勿論無く、携帯電話も無くビーパー(ポケベル)を持ち、顧客打合せには手持ち用と配布用の紙資料を沢山持ち、また出張報告書は手書きで、FAX 送信でした。今や、世界の何処に居ようがネットで常時繋がっており、簡単に情報連絡・検索もでき、打合せやプレゼン用の資料もノートPC(又はネットでサーバー)に入っており、手持ち資料も僅かで済み、出張報告もその日の内にネット配信・登録ができ、軽装・軽快な出張が可能です。更にコロナ禍の経験から直接訪問できなくても、Web 面談・会議も一般的となり、
ある程度は直接訪問・面談の代替ができるようになりました。隔世の感があります。業務改善というより業務改革ですね。

   
 さて、その初の米国駐在間もない頃、以前の業務上の旧知のオーストラリア人が、1988 年にロスに来た折、彼からオーストラリアの土産用記念品スプーンを貰いました。そしてこの時、突然昔を思い出したのです。1981 年に私の最初の上司(課長、米国駐在経験者)の自宅にお邪魔した折、記念品スプーンがラックに入って飾ってあったことを。記念(思い出)の記録が写真の場合は、写真立てで飾る(但し、スペースを取る)とかアルバムやPC の中(直ぐに見ることができない)ですが、記念品スプーンのラックは、 
   
 自宅で寛いでいるときはいつでも、スプーンを眺めて訪問した場面を思い出しています。訪問地の可視化です。オーストラリアの記念品スプーンを貰ってからというもの、出張や休暇で特に初めての土地に訪れた時は、必ずその土地名や名物を記したスプーンを集めるようになりました。

 ところが、アジア出張時に、不思議なことに気付きました。
欧米では、記念品スプーンが、土産物屋に品数多く並んでおり、買い選びに迷うこと自体が楽しいのですが、日本を含めアジアはこの文化は非常に薄いようです。殆ど良いものが見当たらず、がっかりしています。調べたところ、記念品スプーンは1800 年代中頃の欧州で観光旅行の土産用記念が起源とのこと。そして米国での最初の記念品スプーンは1889 年にジョージワシントン大統領の横顔等を描いた銀細工のもので、その1 年後にセーレム魔女スプーンが作られ、これが大ヒットしたことが全米に広がる発端となったようです。

 魔女スプーンの作者は、欧州観光旅行に行きドイツで購入した記念品スプーン(欧州のスプーンは西洋文化等を表す芸術的なもの)をヒントにデザインした模様。なお当初、この銀細工の記念品スプーンは裕福な特権階級の人の旅行記念(都市名と有名な目印が彫られているため)としてスタートしたが、その後、銀市場価格の崩壊や、ニッケル、クロム鋼、他の安価材料で大量生産可能となり、一般人も旅行記念に購入し持ち帰るようになったとこと。

 私は、そんな歴史は一切知らずに、自宅の土産用には必ず記念品スプーンを購入する習慣が付いて、現在までに北米と欧州中心に集めたものが193 本です。アジアでも記念品スプーンが土産用に一般的であれば、もっと集まっているのですが。集めたそれらのスプーンの一本一本に思い出があります。収集した年代通りにラックに並べてあるので、訪問した土地だけてなく、その時に訪れた顧客やビジネス案件、家族との休暇等も思い出すので、今や、スプーンラックは自分史の1つとなっています。

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