「世界文化遺産を見学しました。」

矢野金属株式会社
                      伊藤良子

   当社では、ISO環境の取り組みの一つとして、地域社会と接する活動を毎年実施しています。「大和川河川敷の清掃」「堺市クリーンセンターの見学」「近隣小学校での植樹」などを過去に実施しました。昨年7月、本社がある大阪府堺市の「百舌鳥古市古墳群」が世界文化遺産に登録されたこともあり、今年度は仁徳天皇陵や百舌鳥古墳群を見学することにしました。
    散策チーム

 見学は、環境委員8名が古墳の周辺を散策するチームと上空から古墳群を空撮するチームの二手に分かれて行いました。私たち散策チームは、「仁徳天皇陵古墳」の拝所参拝からスタートしました。拝所は陵墓に向けて鳥居が立つ神聖な場所でもあり、ピリッとした独特の空気感が漂っているように感じました。かつては100基以上あったといわれる百舌鳥古墳群ですが、現在は44基が残っており、今回はその中でも大型の古墳を中心に回ることにしました。「履中天皇陵古墳」「反正天皇陵古墳」「いたすけ古墳」「ニサンザイ古墳」「御廟山古墳」「善右エ門山古墳」。横から眺めるだけだと、どれも皆同じ古墳のように見えるのですが、大きさや形も違いそれぞれに特徴があるように思えました。
   反正天皇陵

 古墳は、3世紀中頃から7世紀末頃に造られた土を盛った墳丘を持つお墓のことで、当時の身分の高い人が葬られていました。その中でも5世紀の中頃、一日最大2,000人が約16年をかけて築造されたとされる日本最大の前方後円墳が「仁徳天皇陵古墳」です。墳丘の長さは486メートルと日本一で、取り囲む三重のお濠を含む全長は840メートルにも及び、エジプトのクフ王のピラミッド、中国の秦始皇帝陵と並び、世界三大墳墓に数えられています。そして、何より興味深かったのは、結局は誰のお墓なのかが明らかにされていないところです。私の学生時代、学校の歴史教科書では「仁徳天皇陵」の呼称が使われていましたが、現在では「大仙(山)古墳」と記載するようになっています。

 これは、天皇家の墓とされる「陵墓」は「尊崇の対象」であるとして、宮内庁が学術調査を含む立ち入りを厳しく規制し詳しい調査ができないため、本当に仁徳天皇のお墓かどうか、確認されていないからだそうです。日本書紀から推定すると仁徳天皇が亡くなったのが西暦399年。「仁徳天皇陵」の築造は5世紀中頃との説が有力で、50年以上のずれが生じます。そもそも「仁徳天皇が実在しなかった」という説もあるくらいで、諸説紛々として定かではありません。仁徳天皇陵古墳は、42年もの長期にわたり在位したとされる允恭天皇の墓だとする意見もあり、世界遺産登録の喜びの傍ら、その「謎」の大きさもクローズアップされているようです。
   仁徳天皇陵

 一方、上空から古墳群の壮大さを感じたい、と言ってスタートした空撮チームは古墳よりヘリコプターのスピードに驚いたようです。離陸し、少しの間ホバリング(空中の一点に静止した飛行状態)したかと思うと、時速100qを超えるスピードで上昇し、アッという間に上空だったそうで、チームの三人は戻ってからもかなり興奮していたように思います。「大仙(山)古墳」が、写真で見るのと同じ形であったことに驚き、古墳‘群’と呼ばれるぐらい多くの古墳が集まっていたこと、それらを取り囲む街並みがきれいで素晴らしい眺めであったことに感動したそうです。
   古墳をへりから一望

 堺市にはこれら古墳群のほか、千利休により花開いた茶の湯文化、堺刃物、自転車、線香、昆布、和菓子など伝統の技や文化が育まれています。今回の見学会を通じて、かつて海外交易の拠点として「自由・自治都市」を形成し、現在では80万人の人口を有する政令都市である堺が古墳と共存してきた歴史を少し学べたように思います。この大切な文化遺産を未来へ継承していくためには、その価値や歴史を尊重するとともに、個人や組織、地域が一体となって環境に優しい取り組みを続けていかなければならない、と感じた一日となりました。


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