「奥利根源流行」

株式会社アライドマテリアル
 タンモリ製品事業部 営業部長
 植竹 伸吉

  「冷たい霧雨」
 急峻な細長い雪渓の最上部。草付きに辛うじて生える小指程度の太さの灌木に支点を取り、滑り落ちないように5人全員がアンザイレンしてつながる。寝場所を確保するために、固い雪面をL 字状に掘り出し、そこにザックを置いて座った。全てのものを着込み、ツエルトをかぶってビバーク体勢に入る。寒くてたまらずに何度も時計を見る。まだ、午前零時。外は冷たい霧雨が降っている。

「奥利根 利根川本谷というところ」
 奥利根は「坂東太郎」利根川の源流部。豪雪で名高い脊梁山脈の影響を受け、各沢筋は深い切れ込みを見せる。本谷は大きな滝こそ少ないものの、渡渉、高巻、へつり、スノーブリッジの処理など、総合的な判断や高度な技術を要する沢とされる。奥深いため長らく源流域さえ確定されていなかった。奥利根源流域の探検は明治27年の第一回水源探検隊より始まり、戦争による空白期を経、ようやく水源地の確定がなされたのは昭和29年の第3回水源探検隊の時であった。各探検隊は30名から50名程度の大人数で構成されていたという。

「土合駅」
 早朝3:00。上越線・土合駅に2台の車が集合。合計5名。数年前に黒部川源流を5日間で遡行したのをはじめ、色々な山行で経験を磨き、お互いに熟知しあったメンバー。登攀の上手なもの、泳ぎ達者、医者、生物学者、芸術家など。暗い土合駅ではあるが、また一緒に山行ができる喜びで皆の顔がほころんでいる。

「渡船によるアプローチ」
 八木沢ダムから先は道が無く、バックウオーターまでの約9kmは船をチャーターすることになる。船頭によれば、登山による渡船は今年初めてとのこと。

「尺岩魚」
 遡行し始めて早々に大きなスノーブリッジ。それを越すのに一苦労した。お昼頃、先行した釣師達が釣りを終え、戻ってきた。彼らによれば今年は相当に雪が多いとのこと。ボートを持ってきているので、一緒に帰らないかと真顔で勧められた。(バックウオーターからでは携帯電話が通じないので、ボートを持っていないと帰る手段が無くなる。)先に行く旨伝えると、魚籠を開き、差し入れだと言って大きな岩魚を7尾もくれた。初日から困難な遡行を強いられ、疲れが出て、今日は早々に天幕を設営した。岩魚は刺身、串焼き、みそ汁にして食べた。うまい!夜、焚火は良く燃え、たわいもない会話をいつまでも続けた。楽しかった。

「ロシアンルーレット」
 ヘッドランプを点けて、暗いスノーブリッジを何度くぐっただろう。スノーブリッジに刺激を与えないように息を潜め、小走りに一気に走り抜ける。沢登りは楽しいが、こいつだけはどうしても好きになれない。昼食をとっていたらいきなり大音響がした。30m先のスノーブリッジの一部が崩れ、乗用車1台分程度の雪の塊が水面に叩きつけられた際に生じた音だった。15m上から乗用車が降ってきたらまずは助からない。

「3日目の夜」
 スノーブリッジの通過に思った以上に時間が取られた。明日中に山岳会に連絡しないと救助隊が出てしまうことになる。焚火を囲んで地図や遡行図を見ながら打ち合わせをした。本流は20m程度の滝をいくつか登攀しなければならないものの、大きな困難は感じられなかった。ただし、後1.5日ほどかかりそう。エスケープルートとされた枝沢を使えば早く抜けられる可能性はあるものの、遡行記録が古く不安が残った。どちらにするかは枝沢到着時刻によって決めることとした。

「エスケープ?」
 よりリスクの低い本流遡行がしたいとの思いがあせりを生んだ。スノーブリッジの上を通過しなければならないところを、くぐってしまい、約800mも進んでしまったあげくに滝が現れた。真っ暗なスノーブリッジ内での滝の登攀など危険すぎる。寒くて戻る気にもなれず、何とか側壁を登り切って雪面の隙間から上に出たものの、この処理に長い時間がかかってしまい、時間的に本流遡行を諦めざるを得なくなってしまった。エスケープルートとされた沢は、恐らくは地形が変わってしまったのだろう。難しい滝やスノ−ブリッジが続くとんでもなくやっかいな沢だった。夜を迎え、不安的な雪渓の上でビバークをしなければならない状況に追い詰められていた。

「夜明けと希望と」
 下は大騒ぎになっているだろうと考えるとつらくなってくる。寒いし、しかも正確な現在地が分らなくなっていた。これは大失策。申し訳なさに眠ろうと思えば思うほど目が冴えた。だんだんと夜が白み始め、皆の顔がおぼろげながら見えるようになってきた。起床を告げると、眠そうな顔ながら笑顔を見せてくれた。皆の元気な顔に「明けない夜は無い。この友とならば何とかなる。」と自信を取り戻すことができた。夜明けとともに行動開始。急峻なルンゼを登り詰め、小尾根にたどり着いてからは背を没するようなネマガリダケの猛烈な藪漕ぎ。息を切らせ全身を使って登り切り、ようやく登山道に出た時にはホッとして倒れこみそうになった。翌日は雷を伴う天をひっくり返したような大豪雨。この日に頑張らなければ、さらに数日間下山できなかったかもしれない。

「モリブデン鉱山」
 驚くべきことに、この奥深い奥利根の一支流である水長沢(水鉛(モリブデン)ノ沢)では昭和25年の前後数年間(ダムが出来るまで)、モリブデンが採掘されていたという。採掘者は日本鉱業株式会社 奥利根鉱山だという。昭和35年に群馬県が発行した火薬庫の完成検査証が残っている。採掘された鉱石は粗製錬され、約2700mの高度差を登り下りして越後側に運搬されたという。道がある程度整備されていたのだろうが、険しい道だったに違いない。もちろん人力のみ。先人の努力には頭が下がる。だがいったい、ここで採掘されたモリブデンは誰がどのように製品化し消費されたのだろうか。水長沢を通過する際、痕跡が残っていないか注意して見たが、何も見つけることはできなかった。自然破壊の象徴のようなダムが、結果的にそれ以上の自然破壊を食い止め、この山域を太古の姿に戻し、原生を保たせ続けているのかもしれない。 ( 九人のサムライ達に捧ぐ)
    
        「大きなスノーブリッジに挑む」


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