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巻頭言
   「ご挨拶」 (第128会報)
株式会社ウイザップ偕揚社
代表取締役社長 加藤 千昭

 第78 回定時総会にて、準会員会社枠からの理事の拝命を頂きました。工業会発展のため、微力ながら精一杯取り組んでまいりますので、ご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします。

 ここ数年コロナ禍の影響でお会いする機会がほとんどありませんでしたが、皆様いかがお過ごしでしょう。オミクロン株の影響で、いまだ事業活動の一部が制限されています。終息しないうちに今度は2 月24 日に突如ウクライナとロシアの戦争が始まりました。ウクライナの被害が日々映像で報道され、大国が力ずくで領土を侵略する現実にショックを感じた方も多いと思います。またロシアに対する経済制裁や日米の金利差の影響でドルに対して円安が進み、化石燃料、鉱物資源、食料品などの価格が上昇し、やはり我々の事業活動に影響が出ていると思います。これらに加え温暖化の異常気象や、頻発する地震による被害が毎年でています。事業を継続するのは本当に大変で、毎年のBCP の見直しが企業の重要な仕事になっていると思います。

 このような危機を乗り越えながら創業100 周年を迎える企業が増えています。電球業界では、エジソンが140 年前、6000 種類以上の植物材料を試し、最後に日本の京都の竹にたどり着き、世界で初めて電球の事業化に成功しました。その30 年後の1910 年に米国GE 社で線引きタングステン電球が実用化されました。日本国内でも東京電気株式会社が1911年にタングステンフィラメントを用いた電球を量産化しました。それから約10 年後の1920 年代に多数の中小企業が、電球事業を始めました。現在生き残れた会社が100 周年を迎えています。当社は、祖父の兄が1912 年電球製造を始めた関係で、祖父が部材メーカーとして1928 年に設立し、95 周年を迎えています

 100 年前に電球ビジネスを始めた人々は、どのような野心を持っていたのでしょう。電球工業史によると、日露戦争(1904 ~ 1905 年)が終結し民間の生活にも電気が使用されるようなった時代です。それまでの火力発電所に加えて水力発電事業が各地で始まりました。1906 年には現在の山手線の一部でも電化が始まりました。この時代の電球製造事業は営利的価値が極めて高いもので、大都市を中心に野心を持った実業家が電球製造事業を始めました。1914 ~ 1924 年に全国で45 社が誕生した事になっています。

 このころ1918 年にスペイン風邪が大流行し、日本内地の総人口約5600 万人に対して約45 万人が死亡したようです。新型コロナの国内死亡者が現在約3 万人なので、当時の騒ぎは大変であったと想像します。それから5 年後の1923 年には、関東大震災が起きます。10 万5 千人に及ぶ死者・行方不明者、200 万人を超える住居焼失者を生み出したそうです。このころ小石川で電球事業を営んでいた祖父達も、震災後は大森に移り事業を再開しました。創業間もない電球事業者達にとっても大打撃であったと思います。

 その後も1930 年世界恐慌、1931 年満州事変が起こり、太平洋戦争に向かっていきます。このころの電球業界は、打撃を受けた企業の整理、統廃合が盛んに起こりました。祖父の兄の会社もいくつかの統廃合を繰り返し、真空管事業にも関わっていきました。また一部のメーカーは海外市場を目指すようになってきました。

 戦後は、日本全体がゼロからのスタートであったと思いますが、すぐに神武、岩戸景気が始まり急速に電球事業が活発になります。大手企業は、電球の大量生産、蛍光灯の開発量産化を行います。中小電球メーカーは、戦前からスタートした輸出電球に取り掛かり、50 年代になると輸出用クリスマス電球が急増し電球輸出全体の8 割を占めるようになります。米国で圧倒的な価格競争力があり、戦前からのメーカーに加え、新たな企業が立ち上がり、ピーク時には東京都内だけでも約500 社(1961 年東京都経済局資料)が製造していたようです。この時代は電球だけでなく日本製軽工業製品が米国であふれ出し、まもなく輸入制限問題が起きます。そして1970 年には海外(韓国、台湾、香港)後発プレーヤーによって市場を奪われ、多くの企業が倒産、転業していきました。1920 年の電球中小企業発足から50 年後でした。

 注視すべきはこの間、戦争、各種災害、疫病などの危機よりも、国内外の電球産業における構造変化の影響を強く受け、事業継続ができなくなった点です。現在100 年継続している電球関連企業は、産業の構造変化に対応できた企業で、輸送機器用や特殊照明用の電球を手掛けて生き残りました。その中には、現在の自動車産業の一員として、世界有数の自動車用ランプ企業に発展した企業もあり、2000 年頃には、自動車用LED 量産化を開始しています。

 同じ時代にスタートした電球企業でも、産業構造変化に対応しながら継続する企業と、そうでない企業があります。そこには、変化を恐れず、変化の側に身を置くことにより、変化から学び、自らのあり方を変えていく努力があったのではないでしょうか。今回は当社が関わる電球業界の100 年について考えてみましたが、国内産業界全体にも言える事と思います。当社自体もまさに電球用フィラメントからの脱却で、新しい事業を模索する毎日です。引き続きタンモリ工業会の会員皆様のご指導ご支援をお願いいたします。
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